2011年12月31日

きのうはあすに

明日へ新年は、死んだ人をしのぶためにある、

心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、

おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ、

でなければ、どうして朝から酒を飲んでいられる?

人をしのんでいると、独り言が独り言でなくなる、

きょうはきのうに、きのうはあすになる、

どんな小さなものでも、眼の前のものを愛したくなる、

でなければ、どうしてこの一年を生きていける?

『きのうはあすに』 「会社の人事 中桐雅夫詩集」晶文社


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毎年大晦日に載せているこの詩ですが、今年ほど心に染み入る年はありません。

あの日から心から晴れ晴れとした日は消え失せ、今も樹海を彷徨っているような感覚に襲われ、これが何年続くのだろうと思うとこの先不安でなりません。

でも、この感覚を思い出してみると、この世に生まれて物心がつき、自分に障害があると認識した時と似てるようなちょっと違うような。でも不安という意味では共通しているような気がします。

昭和初期に自殺した芥川龍之介はその動機に「将来に対する『ぼんやりとした不安』」を上げています。「当時と似た現代社会の中で」と対で使われることが多い言葉ですが、この1年でその「ぼんやり」が悪い意味で「はっきり」と浮き上がってしまったような気がします。

まぁこんなことばかり書いている自分ですが、来年は30代最後の年。様々な意味で結果が求められる1年になりそうです。
焦らず驕らず一歩一歩進んでいきたいと思います。

皆様、今年も本当にお世話になりました。
どうぞよいお年をお迎えください。

unifreemiyagi at 12:00│Comments(2)TrackBack(0)この記事をクリップ!twitterでつぶやく所感・雑多 

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この記事へのコメント

1. Posted by 散々泣いて…   2011年12月31日 14:15
散々泣いて、3月のあの日から泣いて…、一番泣いたのは3月19日に人生で初めて抱いた、あいつの名前がネット上に死亡欄載っているのを見付けた時だった。俺は生きてしまって、しかも、絶対安全な地方にまで運んで貰って、もらっれ、只の余生ではいけないでしょう…。今では、俺の足は強力な電動車椅子ですからね、いつでも、新幹線のホームから堕ちる事も、赤信号を突っ切ることも出来るのですが、それでも、生き恥をさらしてでも、俺、生きる方を選びました。当然一生弔いはします。
2. Posted by ゆにふり   2011年12月31日 20:06
コメントありがとうございます。
生きましょう。生き続けましょう。それが何よりの供養です。頑張んなきゃとか立派にしなきゃとか、そんなことは必要ない。ありのまま暮らしていきましょう。
来年もよろしくお願いしますね。

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